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はじめに
公衆衛生の発展は,人間の健康を守りさらに文化的な生活を営むことを実現してきました。しかしながら,現代の生活様式は,ヒトが生物の一種として生きるという観点からみれば非常に不自然なのです。言いかえれば,生活は便利で豊かになればなるほど,生物としてはどんどん歪んだ環境で暮らす状態になっていくと言えます。人間として本来あるべき姿と文化的で健康な状態を保つということは概念の乖離であり,同時に確立することは不可能なのです。非常に身近な例をあげると,快適で便利になった現代の生活との引き換えに地球温暖化という問題を抱え,これを今すぐ解消する方法は唯一,世界が一丸となって今の至便な生活環境を放棄するしかないことはわかっていても,その状況を変えるためにその方法を選択することはないということです。
このような現代を生きることは,日々ストレスと闘うということで,よりよく過ごすということは,ストレスマネジメントをいかにうまく行うかということなのです。社会に属するすべての人にストレスがかかる時代ですから,働く人々にはこのストレスのうえに業務負荷という,さらなるストレスが加わります。このストレスが引き起こすさまざまな問題や影響は,個人レベルに留まらず,社会全体に多大な損失被害をもたらします(誰か1人がうつ病になると関係する5人の生活に何らかの影響を与えるとする研究報告があります)。働く人のメンタルヘルス対策なくしては,世の中の健康は維持できないといっても過言ではないでしょう。では実際にメンタルヘルス対策は進んでいるのでしょうか?
日本では,三大管理と言われる,定期健康診断による健康管理,職業病や労働災害を予防する作業管理,労働・作業環境の維持・改善を図る作業環境管理によって労働者の健康を維持・向上させてきました。ところが,これらを規定した法の策定は,高度経済成長期以前の工業・製造業を中心とした労働環境に主眼を置いていた時代の施策にもとづいたものです。多くの企業が製造の場を国外へ移し,国内の多くの労働者がオフィスでの事務労働が中心という労働環境となった今では,すでに古さを感じるものとなってしまいました。労働者の健康について管轄する厚生労働省も,メンタルヘルスへの対応は非常に重要と考えており,さまざまな指針が発信されますが,その多くが強制力をもたず任意や努力義務であり,運用は各企業に委ねるという形態をとっています。
このように遅々として進まないメンタルヘルスの推進をあざ笑うかのように,近年の長期休業者の大部分をメンタル障害が占めるようになってきているのです。職業種に限らず健康被害の問題はフィジカルな問題からメンタルな問題へと移行してきていることを,筆者も企業で産業医活動をするなかで強く感じています。何度も言うようですが,誰にメンタル障害が出現してもおかしくない時代だからこそ,正しいメンタルヘルスの啓発を行うことが必要なのです。
産業保健に関わる誰もが,メンタル障害を予防することが急務であると考えているのですが,精神科に精通している産業保健スタッフはまだ少ないのが現状です。また,メンタルヘルス推進をどのように行えばよいのかわからないという話や,始めてみたがうまくいかないという相談が多く寄せられるようになりました。これに答えるべく,2回にわたって,メンタルヘルス対策についてお話しします。本号ではメンタルヘルス啓発を進めるための知識とポイントとして,ストレス,睡眠,うつ病について解説していきます。
この連載「メンタルヘルスの知識と技術」は,これまで総論,各論,Clinical Conferenceの3章のなかでさまざまな知識を提供してきました。そして本号から始まる最終章となる“Learning in Practice(実践学習)”では,今後保健師のみなさんが地域や企業でメンタルヘルス関連の仕事を実践される際に役立つ内容をセレクトしました。これまで習得された知識と合わせて総括してくだされば,より身につくと考えます。
本号と次号は実践的な企業内でのアプローチに関する内容になってしまう部分もありますが,この連載の基本は普遍的なメンタルヘルス対策ですから,労働者のメンタルヘルスに特化するのでなく,今回のLearning in Practiceをたたき台にして,公のメンタルヘルス啓発に応用していただきたいと思います。
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