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“科学的看護論”より講義・実習への展開(1)
大釋 浜子
1
,
新田 麗子
2
1愛知県立総合看護専門学校
2東京都立松沢看護専門学校
pp.467-478
発行日 1978年8月25日
Published Date 1978/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908980
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はじめに
私たちは看護学校で講義・実習を1つ1つ学生とともに展開していく中で,看護技術についてはそれまで表現できない‘もどかしさ’をもちながら意識化できないままに行動し,自分の体験のみに終わっていたのに気付き,看護技術の特殊性を明らかにできるようになってきた.
例えば,ある看護研究会のシンポジウムにおいて,行政の立場にあるシンポジストが看護教育は技術を教えることだと述べ,清拭や便器を与えるテクニックを教えることだというのである.そこで看護職にあるシンポジストおよび聴取者は憤慨し,清拭や便器を与える相手は人間であるがゆえの技術の難しさを表現したいのであろうが,このやりとりを聴いていて,看護職である私たち自身がそれを第三者に伝えられないもどかしさと苛立ちを感じた.
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