ものがたり教育史 日本の女子教育・その7
良妻賢母主義の定着
中嶌 邦
1
1日本女子大学文学部史学科
pp.62-65
発行日 1967年10月1日
Published Date 1967/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908878
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
女学生堕落論
明治37,38年に行われた日露戦争は,当時の日本の国力では,青息吐息で辛勝をみた戦であった。しかも,日清戦争のように,賠償金がとれたわけでなし,得られたのは,国際的地位の向上という,とらえどころのないものであった。しかし,日露戦争の勝利は,市場を拡げ,それまでの日本の資本主義形成の歩みを確実に,帝国主義段階へすすませたのであり,ロシアという大国を向うに廻して勝ったという自負が,国民の間にかきたてられ,国民意識が強まったことは事実である。
従って,学校への就学率も,すばらしい伸びをみせ,小学校の女子生徒は,戦後,90%台になり,明治末年には98%となった。高等女学校へ進むものも急激に増加していた。もちろん,増加といっても,明治の末でも,高等女子校生徒数は7万5千名位であり,それに類する女学校や師範学校生徒を入れても9万名位である。現在,四年制大学に進む女子学生の約3分の2位の数である。すなわち,段々一般的になりつつあり,女学生は人びとの注目の的になる段階である。この頃の婦人雑誌を開いてみると,その口絵写真は,皇族・華族・高等官吏の妻や娘たちであり,それに続いて,○○高等女学校卒業生一同などといった写真がのせられている。当時はやったハイカラ節も幾つかの女学校の校風を巧みにとらえ,面白おかしい節廻しがついていたので,特に男子学生は好んで歌い,大いに流行した。1,2をあげてみると,
Copyright © 1967, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.