Editorial
MSWを定着させる運動
吉田 幸雄
pp.59
発行日 1970年2月1日
Published Date 1970/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541203877
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1951年9月,占領軍チャーター機フライング・タイガー号で太平洋を横断し,はじめて米国へ渡った.使命は,米国の病院と管理の視察である.もちろんDr.MacEachern著のいわゆる"病院管理のバイブル"に魅せられ,その夢の実体の探索に胸をふくらませていたが,その中で特に関心の深い問題は,病歴管理とリハビリテーションと,それにこのMedical Social Serviceであった.そして自分の眼でシッカリとその実体を確認しようと決心していた.
米国内を夢中で都会も田舎も歩いた.確かに組織のうえではこのMedical Social Serviceが普及をしていることを知った.しかし実際の活動を見たのは,最も長く滞在したエール大学の病院である.ある小児が近く失明するという主治医の予告によって,病院のMSWの主任が中心になって,その子どもの母親,主任看護婦,子どもの居住地の児童福祉司,それにたぶん病院のOTも加わっていたと思うが,この子どもの術前・術後,それに退院後の教育指導について熱心に論議が進められた.このようにその子どもの将来を心から考慮して,関係の専門家がチームを作って計画的に援助していこうという意欲が,ルーティンの仕事として集まった関係者の間にみなぎっていた姿を見て,同席した私としては真に感銘が深かった.
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