看護歴史教育講座・創成期の日本の看護教育 米国プレスビテリアン・ミッションの往復書簡にみる桜井女学校附属看護婦養成所の経緯・4
M・T・ツルーと矢嶋楫子を尋ねて—資料探索の思い出
高田 みつ子
1
1国立横須賀病院附属看護学校
pp.630-634
発行日 1986年9月25日
Published Date 1986/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908279
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動機はあるときふっと
何かに興味を持ったときにそれを深めたり,疑問を持ったときに解決しようとする動機はどんなところにあるのだろうか.3回にわたって桜井女学校附属看護婦養成所の経緯を,米国プレスビテリアン教会の往復書簡の紹介を中心にして書き綴ってきた.今,ペンをおくとさまざまな思いが筆者の脳裏をよぎる.その思いと資料収集の経緯を筆のおもむくまま記すことで,漠然とした興味から一つのテーマにしぼったいきさつも自ずと明らかになると思う.
1年間幹部看護教員養成課程で学び,その主要学科目として論文提出を義務づけられていた.自分の最も興味を持っていた歴史からテーマを選ぼうとしたが,‘歴史が好き’,‘看護歴史から何か研究テーマを選ぼう’だけでは資料を集めたり記録をとっていても支離滅裂である.歴史といっても近代なら近代の中の何を知りたいのか,現代の何を知りたいのか,目的意識があるようでない,そんなあいまいな時に集めた文献は,現行カリキュラムの実態からフローレンス・ナイチンゲールのことまで,担当教官の指摘した,的をしぼることが全然できていないものばかりだ.
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