M. T. ツルー設立による桜井女学校附属看護婦養成所廃止の経緯・3
看護婦養成所に対するツルーの意図とドクターライトの処遇
高田 みつ子
1
1国立西埼玉中央病院附属看護学校
pp.182-186
発行日 1989年3月25日
Published Date 1989/3/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908642
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1888年代,桜井女学校は入学生の増大に伴って予算不足に陥り,プレスビテリアンミッション本部に再々予算要求をした.その上,ツルーの設立した看護婦養成所も予算外のことで,日本にある常任委員会(ヘボン,J. C. を中心とする)からも存続に反対する意見が出ていた.
桜井女学校そのものはこの時期,新栄女学校との合併問題もあった.ウィリアムインブリーから本部ジレスピーにあてた1888年4月2日付の手紙には,番町の女の先生方は大変調和がとれているのに,ルーミス(Loomis)やアレキサンダー(Alexander)と一緒に仕事をすることは,水と油で決してうまくいかないでしょう,とある.ツルーと協力することは不可能である,とも書いている1).
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