特集 看護史への誘い
失なわれた記憶,マリア・T・ツルーと日本最初の看護婦学校
亀山 美知子
1
1みどり病院看護部
pp.221-225
発行日 1993年3月1日
Published Date 1993/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661904218
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夜明け前
伝道の熱意に燃える女性宣教師たち
1874(明治7)年11月4日,横浜港に入港してきた蒸気船ゴールデンエイジ号から小さな女の子を連れたマリア・T・ツルーが降り立った.ツルーは,アメリカ女性連合外国伝道協会に所属する宣教師である.中国での伝道活動から,この横浜の山の手にある亜米利加アメリカ婦人教授所(アメリカ・ミッションホーム)で小さな女の子たちの教育に当るために派遣されたのだった.
ミッションホームには,すでに4人の女性宣教師たちがいた.ツルーが来日した当時でも,外国人に対する日本人の偏見は強かったのだが,その3年も前から女性の手で異教徒の地に布教活動を展開する苦労は大変なものだった.4人の中の1人,リディア・E・ベントンは,幼い息子をアメリカに残しての来日だったが(写真),やがて幼稚園のような仕事も始めた.女性宣教師たちは,それぞれが伝道の熱意に燃えていたのである.
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