看護歴史教育講座・創成期の日本の看護教育 米国プレスビテリアン・ミッションの往復書簡にみる桜井女学校附属看護婦養成所の経緯・1
桜井女学校の誕生とマリア・T・ツルーと矢嶋楫子
高田 みつ子
1
1国立横須賀病院附属看護学校
pp.444-450
発行日 1986年6月25日
Published Date 1986/6/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908255
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桜井女学校附属看護婦養成所のミッション関係の往復書簡
昭和60年(1985)は,日本の地で正式な看護婦養成が開始されて,ちょうど100年目にあたった.日本看護協会の通常総会においても,その記念行事が行われた.
最初にわが国で看護婦養成が行われたのは,明治18年(1885)の有志共立東京病院看護婦教育所である.次に設立されたのは京都看病婦学校,3番目に設立されたのが,桜井女学校附属看護婦養成所(以下桜井と記す)である.前者2校は母体がしっかりしていることもあって,すでに多くの研究がなされ,看護婦養成の歴史はかなり明らかにされている.それに比較し,桜井は,後の女子学院が明治35年12月27日,明治39年12月10日の2度の火災と昭和20年5月24日夜半から25日未明にかけての東京大空襲1)で,内部資料をほとんど焼失してしまったため疑問な部分が多く残されたままであった.また,桜井の設立者であるマリア・T・ツルー(Maria T. True)自身のミッション関係の記録も今まで紹介されていなかった.
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