特集 患者‘理解’とは—日々のかかわりのなかで
私の体験から—コミュニケーションを保つということ
横尾 京子
1
1淀川基督教病院外科病棟
pp.564-568
発行日 1976年6月1日
Published Date 1976/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661917891
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はじめに
4年ぶりの2階外科病棟である.産科棟で助産業務・保健指導活動に専念してきた慣れからくる疲れのためか,無性に病める人のそばに私を置いてみたくなった.懐しさから,初めて私がこの2階病棟に来たころが思い出された.
卒後私は外科勤務を選んだ.それは,私と病める人とのかかわりよりも,機敏で熟練した能力を身に付けるためであった.そのころの私が外科病棟に対してイメージしていたものは,悲しいかな,沈着冷静にいかに敏速正確に事を成し遂げるか,その能力を養う所といったものであった.そこに,手術を受けることによって様々にうごめく病める人の姿をとらえていなかったわけである.外科の患者だから切られて当然という居直りと,大手術の患者,小手術の患者という患者への観念的な区別があったように思われる.
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