看護研修学校特殊研究・2
とらえ直されてきた‘人間理解’についての一考察
鈴木 信子
1
1日本看護協会看護研修学校
pp.539-542
発行日 1979年9月25日
Published Date 1979/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907364
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はじめに
3年あまりの看護婦としての生活の中で,私に残ったものは虚(むな)しさだけであったことが,あの時のヒステリックな感覚とともに思い出される.そして,今の眼前に立ち塞(ふさ)がる壁をぼう然として見上げている.また,そんな自分をどうにかしなくてはと感じ始めているのも事実である.
その生活を脳裏に描いてみると,入院から退院までの患者の生活の世話,診療補助,患者の死,このどの場面にも,このような場合の時にはこのようにするのが最善だという教科書的イメージを前提として,看護をしていたように思われる.どのような状況の時でも,この前提としたことを絶対の真理とみなしてしまい,吟味したり懐疑したりして看護場面を展開してゆこうとはしなかった.
絶対真理としたものに隷属する私はあるが,それがこの状況ではなぜ真理なのかを見据えてゆこうとする私は存在していなかった.私の3年あまりの生活はまさに奴隷的思考に立脚していた.奴隷的精神しかない者に,充実感や生きがいなどが,どうしてあり得るだろうか.看護される者も看護する者も,解放されなければならないと思う.そこには,ひとりひとりが理解し合うことのできる思想が脈々と流れていなければならないと思い,このテーマに着手した.
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