私の発言
方法論的問題としての看護—医療における看護の主体性をめぐって
足立 叡
1
1淑徳大学社会福祉学部
pp.249-254
発行日 1975年5月25日
Published Date 1975/5/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906879
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
はじめに
私は現在,社会学および社会心理学を自分の学問領域として専攻し,一方ではソーシャル・ケースワークを中心とした社会福祉の方法を,一方では医療や産業における‘組織と人間’の問題を,それぞれともにそこでの人間(人間関係)の問題への臨床的な関心を軸にその‘専門’としている,いまだ勉強中の一介の社会学徒にすぎない.したがって私は医療や看護の世界そのものには全くの‘しろうと’であるし,まして看護教育の現場に真正面から身を置いた経験もない.ただ看護教育とのかかわりをあえてうんぬんするならば,数年前から2,3の看護学校で社会学とか人間関係に関する講義やゼミナールを担当していること,あるいは現に看護の現場にいる人たちと日ごろ一緒に勉強したり,互いに話し合ったりする機会が比較的多いということぐらいである.
そこで以下,その専門的な目でみるならば,はなはだ的の外れた,実状にそぐわない手前がってな発言でしかないかもしれないことをあらかじめ覚悟の上で,あくまでも上述した自分の専門と関心にことよせて,主として医療における看護の主体性の実現をめぐって,いったい今日,看護ないし看護教育の担い手には,基本的には何が問われているのだろうかという点を中心に,看護ないし看護教育に対する私なりの問題意識の一端を提出してみたい.
Copyright © 1975, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.