教育のひろば
本質を考える
小池 栄一
1
1鶴川女子短期大学
pp.1
発行日 1968年12月1日
Published Date 1968/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906096
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ルソーは彼の教育論を展開した『エミール』の冒頭で「造物主の手を出る時は凡ての物が善であるが,人間の手に移されると凡ての物が悪くなってしまふ」(岩波文庫・平林訳)と述べている。この書物が出版されたのは1762年だから,直接に通用されなくとも今日的状況からみて,なかなか含みのあることばである。
よく一般の有識は,日本の教育水準は世界でもトップクラスにあるとみている。たしかに就学率などの数字を比較してみると,世界の先進諸国を上まわっている。しかし現実に日本の教育の現状を質的に眺めて,本当に得意満面になれる現場教師は何人いるであろうか。社会的・経済的高度成長のおかげやらで教育費はたしかに飛躍的に増大した。だが,そのようななかで,よく耳にする「教育ママ」ということばが,皮肉的ひびきをもっているのは何か問題がありそうである。教育(過剰)ママは母親として当然の義務であり歓迎すべき態度である。ここでは過剰の質が問題なのである。
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