シンポジウム
看護の心—看護の本質を考える
山本 富士江
1
,
脇坂 順一
1
,
西村 馨
2
,
松田 弘子
2
,
池田 秀夫
3
,
雲井 加代子
3
,
小樋井 滋
4
1久留米大学医学部付属看護專門学校
2九州医事新報
3久留米大学医学部付属病院
4西南学院大学
pp.198-218
発行日 1978年4月25日
Published Date 1978/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907199
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看護教育の現場では,常日ごろから患者理解のために,人間と人間のかかわり合いについてのさまざまな理論を学ばせている.そして私たちは,看護する側からの患者あるいは患者心理について,数多くの報告を手がかりに理解を深めあっている.だが果たして,当の患者自身,ともにある家族の側は,そこで何を見,何を感じ,どのよう振る舞おうとしているのだろうか.そこで‘看護の心’は試めされているともいえるだろう.
シンポジウムで話されている患者体験,とりわけ病める子供とともに苦しみ闘いぬいた主婦が語る,胸を突かれるような気迫と響をこめた内なる心は,一言のうちに‘看護の心’の重みとすばらしさを言い当てているとはいえまいか.ご味読いただきたい(なお本稿は,昨年9月23日,久留米大学医学部付属看護専門学校で行われた第1回研究発表会でのシンポジウムを収録・編集させていただいたものである).
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