教育のひろば
教育閑談
新田 勝彦
1
1福島大学教育学部
pp.5
発行日 1968年5月1日
Published Date 1968/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906010
- 有料閲覧
- 文献概要
教職に身をおくものの一人として,常々教育ほどむずかしく,重要なものはないと考えている。かつて,先哲がそのもてる蘊蓄と熱情とをかたむけて子弟を教え,ためにその中から幾多有用の人材が輩出したということは事実である。が一方,社会の発展に伴ってその機構が複雑になってくると,この教育万能論,教育情熱論もその神通力を失って,教育限界論が代って抬頭してくるのも故なきではない。曰く教育とは学校(教師)だけの仕事(責任)ではなく,家庭教育が基本である。いや社会(友人,マスコミ等々)の影響がより大きいのである。かくして,学校ではただ知識の切売りと技術の伝達だけが行なわれるようになり,誰もが(教師も)それを当然としてあやしまない。
たしかに,学校教育には限界があり,教師の影響も昔日よりは微弱になってゆくことも事実であろう。しかし,その過程にあって,あまりに教師が安易につき,サラリーマン化してゆくことが正しいかどうか,いささか疑問を感じないでもない。ここらでもう一度教職なるものの吟味をしておくことが必要のような気がする。教師はあくまで人間の生長と発達に重大な関係を持つからである。
Copyright © 1968, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.