指定規則改正に伴う高等看護学校教育の問題点
看護教育の明確な指向形成へ
小笠原 義夫
1
1国立都城病院付属高等看護学院
pp.17-18
発行日 1968年3月1日
Published Date 1968/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905983
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至難の歴史的大事業
戦後看護婦養成機関には厚生省関係の特殊学校としてのものが大部分であったが,最近文部省関係の機関が増加しつつある傾向にある。今回のこの方面の改正は看護教育を新しい理念に基づいて一本化せんとすることは明らかである。この大別されるふたつの系統の養成機関にはおのおの今日までの歴史があると思われ,特に厚生省系のそれは特殊学校としてその成立にしても古い歴史をもっている。この歴史を変えるということはなかなか難しい問題であり容易な業ではない。誇大な表現ではあるが,古い日本の歴史をかえた明治維新あるいは第二次世界大戦等は莫大な費用と人手を要する大事業であったはずである。日本医師会が医療行政上大きな力を持っているのも一にかかって,その歴史に由来するものと考えて良い。今回の改正に当って問題点がありとすれば,この辺に存在し,また求められると考えられる。
国立の高等看護学院に関係して十数年になるが国立病院の側からみた学院の存在は「ギブ・アンド・テイク」式考え方であり,看護力としてあるいは事故災害時の対処力として眺められ,実際に監督機関からの指示の中にも幾多の面でこのような考え方がうかがわれた。学院の存在は一応病院にとっては看護婦の定員を充たされ易いという面からも有難い存在であり,学院を持っている病院はうらやましいという声も聞かれたものである。
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