看護学校のあゆみ 慈恵高等看護学院・最終回
昭和時代
小川 忠子
1
1東京慈恵会医科大学付属病院
pp.53-58
発行日 1966年2月1日
Published Date 1966/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905572
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東京慈恵医院は昭和五年に本建築成り,総裁竹田宮妃昌子内親王殿下をお迎えし,総会場において開院式を行ない,その後一年に一度の会員総会は行啓を機会にここで行なわれ,看護婦の卒業式も皇后陛下の御前で証書授与された。ここはどんな大地震があっても絶体に大丈夫という建築の由である。昭和12年の卒業式次第を見ると,御歌を斉唱,これは宮内省の作曲である。
御歌 照憲皇太后
人のみぬ時とてこゝろゆるひなく
身のおこなひをまもりてしかな
御歌 貞明皇后
うつくしむなさけのつゆを民草に
もるゝくまなくそそきてしかな
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