- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
父のこと
私の父 江藤武夫は大正2年(1913年),「清国漢口市仏国租界領事街15号」(清の時代の漢口市のフランス人居留区)で生まれた.現在の中華人民共和国湖北省武漢市である.祖父の江藤友治は,当時その近隣の徳国租界(ドイツ人居留区)にあり,開設にも関与した漢口同仁医院を出て,フランス人居留区で医院を開業していた.父は,1歳時にポリオに罹患し,両下肢機能障害のため,かけ足をしたこともなければ,片脚起立も不能であった.しかし,胸骨正中部で一本杖を支柱とした独特の歩容で独歩能力を獲得していた.想起できる父の姿としては,足部は著しく尖足変形し,膝は著しい反張を呈していた.
祖父は大正9年(1920年),漢口市で48歳で病死したが,その直前に学齢に達した父はナースと共に本籍地の大分県臼杵市の実家に帰国した.一回り年長の伯父は,九州大学医学部を卒業して産婦人科医となり,朝鮮半島で医院を開業することになるが,当時はまだ旧制高校の学生であった.家計がどのようなものであったか父から聞いたことはなかったが,障害児は就学免除の時代に高等教育まで受け,単身上京して,東京慈恵会医科大学を卒業して医師となった.決して苦学生ではなかったようである.2歳年下の叔父は,祖父の死後帰国し,旧制中学から海軍兵学校に進学したが,親戚の者から「わが家は貧乏ではないから兵学校に進む必要はない」と言われたという.一回り年長の私のいとこの話では,親戚の子どもたちは皆一緒に遊び,どこの家にも出入り自由であったという.おそらく「イエ」の仕組みが,国の制度とは別に,ごく自然に機能した時代であったように思える.東京の単身生活でも,父は親戚を大切にすることで不自由はなかったようである.
Copyright © 2014, MIWA-SHOTEN Ltd., All rights reserved.