教材
日本近代女性史—第11回 女性の新しい出発
福地 重孝
1
1和洋女子大学
pp.39-42
発行日 1962年5月1日
Published Date 1962/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663904193
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戦争責任
終戦当時をかえりみると,そのころ多くの女性たちは,日本のたどっている道は終局的にどこにつらなるのか,これからの日本はどうなるのかをはっきりと意識することができなかった。虚脱と混乱の中でのポッダム宣言の受諾は,それは「終戦」を意味し,さらに冷厳な現実としては,不敗を信じていた日本帝国の「敗北」であった。この敗戦によって,これまで欝積していた国民の厭戦気分があふれ,徹底抗戦を呼号する一部軍人の反乱が起こったならば日本は敗戦と共に内部解体の危機に直面していた。その危機一発は天皇の「終戦の英断」によって救われ,天皇は終戦の恩恵者として,その神格化が持続されようとした。が,天皇は1946年(昭21)元旦みずから「人間宣言」を行ない,天皇=国民の結合は新たな紐帯に求められることになった。
「国体護持」と「承詔必謹」の戦争中のスローガンは,戦後東久邇宮首相による「一億総懺悔」の提唱に替った。敗戦の原因は「軍事力の不足」によるとか,「科学の立ちおくれ」にあるとか,「行政の失敗」によるとか「国民の道義の低下」に理由するなどとしてあげられた。
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