- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
千人針もむなしく
1枚の赤紙召集令状で,「大君に召され」て戦場におもむく男子,最愛の夫や,息子,恋人と,これが今生(こんじょう)の離別になるかもしれないと思う日本女性にとっては,うち振る日の丸の小旗に涙をかくし,にっこり笑って見送ったのであった。「橋のたもとに,街かどに,千人針の人のむれ」「どうぞ一針を」と道ゆく一人一人の女性に一針の合力をたのむ女性の真情をこめて「ご無事でご帰還を」と武運長久をねがい,出征兵士の生命(いのち)あれかしと祈願した日本女性。今日でこそこの千人針は,註(1)迷信,呪法の一つとして一笑に付すであろうが,当時の人びとの真剣な気持は一概に非科学と笑えない。女性の人間性にもとづく共通な心の通いが,戦争に対する疑問として起こらず,多くの女性の合力が社会的に結集されて拡大されなかった。むしろそれは神に祈る気持,運命的な諦めの形となって,近代戦の苛酷な様相を正視する眼をくもらせてしまったのではなかったか。「千社詣り」や「千人針」にこめる女性の祈りのむなしさをまざまざと知ったのは,B29の本土空襲がはげしくなり,死人の山が築かれ,敗戦の色が濃くなってきたときであった。
「ぜいたくは敵だ!!」と窮乏生活に耐え,夫の戦死や息子の戦死に,くだける意気を揮(ふ)りおこし,「お国のお役に立った」と人にはいい,「護国の英霊」と讃えられ市靖国の家」と称されて,その悲しみと怒りを爆発させずに,封じこめる力は何であったかをしだいに知るようになってきた。女子挺身隊として47万人の若い女性が社会と生産に連なったとき,また夫や息子に別れた女性は,一人で泣いてはいられなくなって,ただナベ・カマを磨きつづけ,蝉のヌケがらのようになっていてはならないという,自力で生きる女性の道を確信をもってつかみとったのであった。女性が苦しい体験から学びとったものは,戦後のめざましい女性の自覚として,歴史の上に表現されてゆく。
Copyright © 1962, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.