特集 看護教育50年の評価
米国の看護はどのような影響を与えたか:看護の専門職化への礎石
ライダー島崎 玲子
1
1東海大学健康科学部看護学科
pp.645-650
発行日 1995年8月25日
Published Date 1995/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663903692
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はじめに
現在の日本の看護制度は,第2次世界大戦後,連合軍の実施した看護改革に負うところが大きい.1945年,改革が実施されるまでは,日本の看護婦は医師の管理下にあり,医師により人事が決められ,業務は治療の介助から手術室や病棟の床磨き,掃除,果ては医師のお茶くみ等で,看護の独自の役割はなかった1).看護教育も聖路加看護専門学校や赤十字看護学校等を除いては,患者の看護をする看護婦の育成ではなく,医師の治療が効果的に,また容易に出来るように援助する看護婦の養成が主な目的であった.
占領軍総司令部(GHQ)公衆衛生福祉局看護課のオルト大尉(後,少佐)は,全国の医療・看護の実態を視察した後,日本の看護婦は自立性に欠け,看護の本質の理解に乏しいことを痛感した2).占領軍看護婦は,まず看護教育で,看護の理念,看護の歴史等をしっかり教えることから看護婦の意識改革に着手した.看護は実践の科学と教え,看護教育で学んだ知識を常に現場で活用できるようにと,病院の実習場の整備にも力を注いだ.講習会を開催し,看護の教育方法や管理法なども教えた.占領中に何らかの講習を受け,修了証書を取得した者は3,524人で,また14,000の看護婦が,国・地区・県・病院の各レベルで解剖生理,細菌学,伝染病,内科外科看護法,看護歴史,看護技術,指導法等の講習を受けた3).
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