特集 日本の看護・看護教育 私にとっての20世紀
3部
読者が選んだ日本の看護・看護教育―20世紀の100人
pp.624,625,635,639,664-
発行日 2000年8月25日
Published Date 2000/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663902312
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古屋かのゑ
Kanoe Furuya 1911~1993
推薦者●五十嵐文子
1945(昭和20)年,長い戦争が終結し,日本の看護教育はGHQの指導もあり,画期的な大変革がもたらされた.1947(昭和22)年に国立東京第一病院附属高等看護学院が発足し,新制度の看護教育が始まった時,教務主任として教育を担当することになったのが古屋かのゑ先生であった.彼女は山梨女子師範学校を卒業後,日本赤十字社看護婦養成所を1937(昭和12)年に卒業した.学院発足当時より20年余,厳しい物的,人的条件のなかで看護教育に専念した.
古屋先生の看護の理論には,人間を見つめるあたたかい眼があり,学生たちはみんな古屋かのゑという人間像に魅せられたように講義を傾聴した.その講義のすばらしさは各種研修会等でも定評があった.戦後の胎動期から新制度の看護婦教育に貢献したことにより,1985(昭和60)年「看護教育100周年記念厚生大臣表彰」を受けた.旧日本看護協会歌の作詞者でもある.
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