特集 日本の看護・看護教育 私にとっての20世紀
2部 日本の看護・看護教育の100年を振り返って
忘れてはならない大切な人たち
坂本 玄子
1,4
,
渡部 喜美子
2,4
,
名原 壽子
3,4
1聖マリアンナ医科大学付属看護専門学校
2昭和大学付属烏山看護専門学校
3宮崎県立看護大学
4看護史研究会
pp.592-599
発行日 2000年8月25日
Published Date 2000/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663902303
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保良せきにみる公衆衛生看護婦の原像
人々の要求に応えた近代看護婦の誕生
わが国では1888(明治21)年,西欧の発展した看護を取り入れ,計画的に教育された看護婦(trained nurse)が3つの養成所(慈恵,桜井,京都)を卒業して世に出た.上流家庭に派出した彼女たちが,ピカピカの検温器やガラスの口のついた蒸気吸入器や,イルリガートルなど珍しい看護用具を駆使して,白衣に身を包み,キビキビ働き,匂いの強い消毒液で伝染病に立ち向かい,病人の食餌に気を配り,患者の代弁者として医師に指示を迫るのを見て,人々は目を見張ったであろう.ベッドサイドケアの専門家として数少なかったこの近代看護婦こそ今日の看護婦の原点である.彼女たちに患者が寄せた深く大きな信頼は,キリスト教系看護教育が目立ったので,そこで培われた献身や博愛によるものと目が向きがちだが,何よりも明治期最大の健康問題だった猖獗をきわめた伝染病に対処できる新しい看護力,そして患者の安全安楽を追求するその近代的な技術の高さに寄せられたものだった.
明治30年代以降,看護婦は急増していくが,安易な増加が質を低めるという矛盾にさらされつつも,女性の重要な職業として充実を遂げてきた.その先人の大関和,鈴木雅,平野藤,萩原タケ等,明治女性の毅然とした生き方,看護を築いてきた姿は,今日もなお私たちを励ましてくれる.
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