特集 日本の看護・看護教育 私にとっての20世紀
2部 日本の看護・看護教育の100年を振り返って
日本赤十字社の看護―この人,この時
吉川 龍子
1
1元:日本赤十字社
pp.589-591
発行日 2000年8月25日
Published Date 2000/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663902302
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高山 盈
Mitsu Takayama 1843~1903
今から100年前の1900年に勃発した北清事変で,赤十字看護婦は初めて病院船内で勤務し,中国大陸から連合国人のうちフランス人傷病者ら100余人を日本に移送して,国際救護を行った.東京の日本赤十字社病院(本社病院)の初代看護婦監督の高山盈は,広島陸軍予備病院で救護班を指揮し,懇切な看護を実践して,外国人から感謝された.
高山盈は,学習院,華族女学校,宮城県尋常師範学校で家政学を教えた教育者であったが,橋本綱常初代院長の懇請により,看護婦監督に就任した.当時の監督は,のちの看護部長,教務部長,舎監の職務を兼任し,看護婦と看護婦生徒を指導する責任者であった.
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