Siesta
忘れられないドイツ人
早野 三郎
pp.103
発行日 1993年10月30日
Published Date 1993/10/30
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410901898
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ウィーリー・フーレンドルフといっても知っている人は少なくなった。大の日本贔屓,親日家であったが,遂に日本を訪れることなく,この世を去ったのは昭和53年である。
今次大戦後,海外の事情が雑誌・文献から読みとれるようになるにつけ,臨床の検査・治療に用いられている器械・器具の実物を手にしてみたいとは誰もが思った。外貸は乏しく,外国から買うことがきわめて困難な時代に,いち速くこれはという器械を輸入したのは松本医科器械の故松本祐治郎社長であった。松本さんとて自由に欧米を飛び廻れなかったが,情報源,取引先はハンブルグ在のフーレンドルフさん。この御両人が結ばれた昭和4年に遡る秘話は,今秋上梓される(株)松本医科器械80周年記念史に詳しい。戦後,この二人が戦前から築いてきた友情と信頼が再開し,視野計・眼底カメラ・大弱視鏡など,また数々の手術用具の輸入となった。昭和42年12月,松本さんは急逝されたが,フーレンドルフさんとの連携は仕事上ばかりでなく,人の輪の連りとして強められていた。当時,欧州へ赴く学者・医師を松本さんがフーレンドルフさんに紹介したことである。
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