連載 日本看護婦物語補遺・2
日本赤十字社看護婦養成所
高橋 政子
,
土曜会歴史部会
pp.22-31
発行日 1971年12月1日
Published Date 1971/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661916197
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Ⅱ.日赤病院の発足と看護婦養成の開始
救護看護婦の養成は国家的要請
前に記したように,博愛社病院は明治19年11月17日(1886)盛大な開院式を挙行したのであるが,これに先立つ2日前の15日には,日本政府が万国赤十字条約加盟を勅令公布しているし,さらにさかのぼって同年6月5日,パリ,スイス公使館において,すでに蜂須賀特命全権大使が10力条からなる最初の赤十字条約(1864年8月成立)に加盟調印している。これらのことを考えると,博愛社病院の設立がいかに大きな背景のもとに急ピッチに進められていったかが想像できる。
そして博愛社は条約加盟公布後半年経った明治20年5月20日(1887),やっと「日本赤十字社」と改名した。これは十字の文字が耶蘇くさいとの誤解をうけたことと,博愛社としての10年間の活動がようやく社会の人びとに認められだしたため,社名変更をよろこばない人たちが社員のなかにもあって,即座に衆議が一決しなかったからである。
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