グラフ
阪神大震災の現場から第一報―ナースとして体験したこと
勝田 仁美
1
1兵庫県立看護大学
pp.214-215
発行日 1995年3月25日
Published Date 1995/3/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663901074
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関西には地震がないと言うのは,神話に終わった,1月17日未明の突然の震度7,そして,5,000人を越す死者.焼けた町.壊れたビルや家屋の間をぬって,避難所へ出向いた.ここではズボンに運動靴にリュック,ノーメイクにボサボサ髪が標準スタイルで,電車にハイヒールの人が乗ってくるとみんなが奇異の目を向けるほど,終戦直後の様相を呈している(本当の終戦直後は知らないが).
私は,地震4日目から2日間,神戸大学医学部附属病院へボランティアナースとして入った.病院に到着するまでの道中も,陥没した道路や倒れかかったビルの谷間,コンクリートから鉄筋むき出しの高速道路の柱の横を通り,命がけである.連続勤務・激務を余儀なくされているナースを休ませるための交代要員としての役割についた.ナースも,被災者が多く,家族や倒壊した家をとりあえずおいたままの不眠不休の勤務であった.病院にとって水がないということはどういうことであるのか.ナースでも医師でも給水車に水をとりに行かなければならず,救急の患者も増えるなかで,スタッフは皆,最大限の努力をしていた.
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