NURSING EYE
看護教育 過去・未来
渡辺 和子
1
1神戸大学医療技術短期大学部
pp.130-133
発行日 1990年3月25日
Published Date 1990/3/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663900023
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Back to 1970
2社70-72.この数字は筆者の大学生時の学籍番号である.1970年入学の社会学部,72番目という意味である.EXPO 70,千里万博が開催された年であり,アポロ11号が月面着陸した年である.その3年前は東京オリンピックが開催された年でもある.学生に1970年と言うと,「先生!私たちまだ生まれていませんけど……」と何とも困った顔で応える.年の差の広がりに,今度は私が思わず唖然としてしまう.
その教養課程の頃,教育学のレポートのテーマが「20年後の自分」というものだった.当時の看護教育は,ご存知のように3年制の看護学校が主流で,大多数を占めていた(と思っていた).4年制の大学は東大,聖路加,高知女子大,そして青森・徳島・熊本・千葉の教育学部の看護学科であり,国立の短大は大阪大学の医療技術短大が1期生を卒業させたところであった.
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