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以前、『コンパッション都市:公衆衛生と終末期ケアの融合』1)という書籍の翻訳に参加する機会がありました。この本はA・Kellehearという社会学者が2005年に刊行した『Compassionate Cities; Public Health and End-of-Life Care』を全訳したものです。私にとっては初めての書籍の翻訳であり、自身の英語力のなさもあって、その難しさを実感することが多々ありました。その1つが、本書のキーワードでもある“compassion/compassionate”をどう日本語訳するかということです。例えば手元にある日英辞典でcompassionを調べてみると、「《弱者に対する(深い)同情、哀れみ》」という意味が載っていて、補足として「sympathyよりも深い同情と助けようという気持ちを表す」と書かれています。他の辞書では「共感」や「慈悲」「思いやり」といった訳語も紹介されています。しかし、これらの訳語では、著者がcompassion/compassionateという語を使って示そうとしているアイディアがうまく表現できないように感じられました。訳者間でも議論を重ね、最終的に「コンパッション」というカタカナ表記註1をすることになりました註2。
翻訳作業の一環として、コンパッションについてもいろいろと調べる中で、私はこの語が新しい医療者像を考える上で鍵になると考えるようになりました。事実、近年、コンパッションはヘルスケアの領域で高い関心を集めています。そこで最終回となった今回は、コンパッションを導きの糸にして、(これまでの連載内容も振り返りながら)新しい医療者像について考えてみたいと思います。
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