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はじめに
「わざ言語」を媒介したわざの伝承について考えるとき,以前,先輩看護師から聞いた話を思い出す。それは,先輩看護師の同僚の子どもがみせた行動の話である。その子どもは,母親である同僚看護師と帰宅するために,ときどき,幼稚園の帰りに母親の勤務する病院を訪ねていた。ある日,病棟のナースコールが鳴ったと思ったら,その子どもが洗浄室に走り,尿器を手にナースステーションに来たのだという。看護師たちは,自分たちのことをよく見ていると感心しながらも,大笑いしたのだという話である。今から50年近く前の話であるので,今では考えられない状況ではあるが,その後も,その子どもは,ナースコールが鳴ると,足早に尿器を取りに行くことがあったのだという。私が興味深いと思ったのは,子どものとった行動について看護師たちが,自分たちがいつもやっていることを真似ていて,その子に誰も,何も教えていないのに,自分たちが何を考え,何をしているのか伝わっていると思ったのだという点である。ここで伝わったというのは,便意や尿意を催す患者さんを我慢させてはいけない。待たせないという排泄の世話の考えである。
ここでは,教え─教えられる関係も,子どもが形式的な知識にふれているとも思えない。先輩看護師が言うように,素人の子どもに「看護のわざ」が伝わっていたとするなら,どのようなことが関係しているのであろう。
生田は,「わざ」の伝承は,指導者がもつある種の身体感覚を「わざ言語」を媒介して,学習者が身体的に感得し,共有していく過程であるという1)。看護学生の実習においても,いつの間にか,学生が看護師らしいく振る舞いをするようになることがある。そこで本稿では,臨地実習における看護実践の指導者である看護師と学生が〈共有する感覚〉に着目しながら,わざが学生に伝わっていく様子をわざ言語について記していこうと思う。
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