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現在の教育の問題点
行き過ぎた思考の教育?
「看護とは実在または潜在する健康問題に対する人間の反応を診断し治療することである」1)と定義されているように(下線は筆者,以下同),看護は健康問題が人間にもたらす影響に対する実践活動─1人ひとりの病む人に対して1人ひとりの人間としての配慮をすること─である。病む人1人ひとりにとっての病の「感じ」や「意味」などという主観的なことを主要な問題としていかねばならないため,看護は科学とは言えないのではないか2)という思いに,看護師たちは長年悩まされてきた。
1970年代に日本に初めて看護診断が紹介されて以降,看護診断技術の開発や看護治療法の体系化が急速に進む。科学性や科学的根拠に基づいた実践をめざすなかで,クリティカル・シンキングを組み入れた看護過程(看護師の活動の思考と行動パターンを様式化したもの)は,看護教育には欠かせないものとなり,その教育に多くの時間が注がれている。しかし,クリティカル・シンキング,看護過程はあくまでも思考である。それができることと「実際に看護ができること」とは大きな違いがある。たとえば学内ではペーパーペイシエントの看護はよく考えられる学生が,臨床現場では看護ケアを必要としている患者さんに的確に応えることができない場面をときどき経験する。看護とは一言でいうと,人間同士のかかわりの不断の過程にほかならない。人間とはもともとからだとからだとで感じ合い,通じ合う身体的存在2)といわれている。人間同士のかかわりとは,とかく心理的相互作用の局面だけに限定されて理解されがちであるが,実際はからだとしての人と人とのかかわりなのである。したがって人間同士のかかわりは「頭─知識」のみではできないということであろう。頭だけではない看護を実際に行うための知は,「臨床の知」と呼ばれることがある。
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