特集 身体知をリベラルアーツに
看護職者らしさを支える知覚─ある看護学生の「身体知」が変わるとき
菊池 麻由美
1
1東京慈恵会医科大学 医学部看護学科
pp.964-969
発行日 2016年12月25日
Published Date 2016/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663200642
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「看護師ならわかるよね」という知覚
看護師,医師,看護学生の見える「患者」
私が看護師として臨床で働いていたのは四半世紀近く前になる。その頃,ナースステーションで同僚たちと交わした「看護師ならわかるよね」という言葉が,今でも私の心に引っかかっている。
それは,看護師が患者の姿を医師に伝えた際の言葉だ。看護師たちは自分たちに見えている患者の姿を必死に伝えたが,医師にはわかってもらえずに「きちんと客観的に説明してくれないと,感覚的に言われてもわからない」と返された。「看護師ならわかるよね」は,それに対する私たち看護師の悔し紛れの返答だった。私たち看護師の間ではわかりあっていた「○○さん,今日はいい感じ/まずい感じ」「××さんの手術後は絶対にヤバイ」,そんな患者の姿を医師に伝えたかったのだ。そのとき,どの看護師にも見えていた患者の姿が,医師には見えないことに私は驚きと疑いを感じたことを覚えている。看護師には,患者がそのように見えてしまうのであり,それを論理的に説明するのは難しい。看護師には,看護師同士で共有するものの見え方,つまり,“看護師ならわかるよね”と語ることができるような共通の知覚があるらしい。
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