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はじめに
私が臨床での現任教育を担当していた頃,10数年にわたって毎年,新人を受け入れ独自に研修プログラムを立案・実施していた。養成施設をもたない医療機関のため新人たちの教育背景も多様で,毎年,入職時に技術の到達度,臨床のアセスメント能力を確かめることが必須であった。興味深かったのは,彼らの態度や技術レベルを通して,出身校の教育理念や教師の指導のありようなどを想像できたことである。まさに“新人は基礎教育を映す鏡”であると思った。昨今,新人の技術レベルの低下を嘆く声や,年毎に職場への適応が延長していることなどを聞くにつれて,学生時代に1つでもよいから,身について離れない確かな技術を習得させることにより,そうした状況の改善ができるのではないかとの思いを強くしている。なぜなら,卒業時点での看護技術習得の如何は,その本人の職業継続意思を左右する要因になり,受け入れ側の看護の質にも影響することは明らかだからである。
一方,昨今の臨床現場の看護内容の崩れ方にも目を向けないわけにはいかない。そこには,業務の過密化のみではなく,理念や知識先導によって,ごく普通の看護実践軽視とモラル低下の進行がある。具体的事象から読みとれることは,医療安全を口実にして患者の安楽な状態(人間としての尊厳)が脅かされている事実である。その底流に,個々の看護師の信念の根拠となる基礎技術教育のありようが影響しているとは言えないだろうか。つまり,少々の外圧や状況の変化にたじろがない姿勢の根幹ともなる看護技術が,しっかりと身についていないことによると思われる。そこで,本稿では,看護師がその専門性をもっとも発揮し得る安楽面の技術について,技術論に根ざした三段階論「形,型,可」に添った技能習得方法を提示してみようと思う。
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