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はじめに
2014年は,「STAP細胞事件」に大きく揺れた1年でした1)。世紀の大発見と華々しく報じられた研究は,次々と疑惑を投げかけられ,ついには世紀の研究不正として日本の科学史に刻まれることとなりました。科学的なデータの「捏造」や「改ざん」が,これほど世間の注目を集めたことはないでしょう。「コピペ」の是非も,さまざまな立場から熱く論じられました。「研究倫理」という聞き慣れない言葉が,テレビのワイドショーでも飛び交いました。大学や研究機関では,不正防止のための規則整備や罰則強化,研究倫理教育の充実が声高に叫ばれています。
問題は高度な科学研究に限られません。専門学校や大学はもちろんのこと,高校における実験や実習,小中学校の総合学習や夏休みの自由研究でも,観察や調査が「正しく」行われているかどうかは,本来厳しく問われなければならないことです。「研究倫理」とは,決して難しい規範や堅苦しい道徳などではありません。学者だけに求められる倫理でもありません。なぜなら,「研究倫理」とは,突き詰めて言えば,自分も他人も偽ることなく,何事もごまかさずに,確かな知識を求めようとする「誠実な学びの姿勢」であり,それは人間なら誰でも身につけておくべきものだからです。それは,規則で縛り,違反を罰するだけで身につくものではありません。子どもの頃から,実際に誠実に学ぶ体験を繰り返すことによって,習慣として身につけるべき事柄なのです。
ですから,教師は,日頃の授業実践を通して,「誠実に学ぶ」とはどういうことかを,学生・生徒に体験させる必要があります。小学生にとっての「誠実な学び」と,中学生,高校生,専門学校生,大学生,大学院生にとってのそれとは,さまざまな違いがあるのは確かでしょう。しかし,そこには変わらぬ共通点もあります。それが,「学問的な誠実さ(Academic Integrity)」と呼ばれるものです。
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