Scramble Zone
がん患者として,そして看護職として思うこと―存在するだけでは生き抜けない,一人の看護教員として意味ある存在でありたい
西田 厚子
1
1京都橘大学看護学部
pp.1038-1041
発行日 2012年12月25日
Published Date 2012/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663102263
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私は看護教員である。看護専門学校と保健師課程を卒業した後,過疎地域の市町村や県の保健師として長年働きながら,患者会の立ち上げや難病患者支援などにも携わってきた。その後,看護系大学の開設ラッシュの頃に看護教員となり,地域看護学に関わる内容を教えてきた。その私ががん患者となり,医療を受ける立場になった。今年の2月のことである。
「患者」という立場に身を置いて,改めて気づいたことがある。たとえば,「存在しているだけでいい」という言葉が,必ずしも救いの言葉にならないことがあるという点である。私を救ってくれたのは,「がんばらない闘病生活」ではなく,看護教員として再び教壇に立つという強い思いだった。また,「インフォームドコンセント」と言いながら,治療選択における本当の意味での自由があるのかという疑問も感じた。
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