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はじめに
数年前から気になっていることがあった。先日,同様のことを88歳になる恩師(看護師・助産師)から指摘された。2012年2~3月の読売新聞に掲載された「特定看護師(仮称)」関連の記事についてである。現在〔肺炎〕で郷里の公的病院に入院中である彼女の言い分を要約すると,「病室に看護師が来ない。自分たちが行っていた看護はどこにいったのか,特定看護師(仮称)を論じる前に看護の本来的な役割を考えてすべきこと(患者ケア)をしてほしい」との趣旨であった。
彼女は,オルト女史*から直接患者ケアの講習を受けていた。30数年前,師長であった彼女のもとでベッドサイドケアに汗を流していたことを思い出す。あの頃,朝の申し送り時の彼女の膨大な情報量に驚愕した思いは,いつしか尊敬の念に変わっていった。彼女が誰よりも早く出勤し全室を巡回していたことを知ったのは,随分経ってからであった。彼女は患者や家族の要望に応えるようスタッフのみならず医師にも厳しい反面,患者・家族,そしてわれわれスタッフを大事にしてくれた。そのために必要な要望は管理者と喧嘩してでも交渉してくださる人であった。その彼女が嘆く,ベッドサイドケアはどこへいったのかと……。
私自身は臨床看護を経験した後,看護基礎教育に従事し,大学院や専門看護師(がん)の教育課程を立ち上げ,さらに認定看護管理者の教育にかかわってきたので,看護が専門職を目指すために検討すべき課題が山積みしていることも理解しているつもりである。そして,現行の認定看護師や専門看護師の裁量権がどこまで認められているかについては不満がある。診療の補助業務のなかでは,看護師が必要性をアセスメントしその行為を実施できても,それらは医行為の範疇でしかない。昨今論議されている特定の領域に裁量権を有する特定看護師(仮称)の誕生は,看護の専門職化から考えると諸手を挙げて賛成したいところである。
しかし,現実問題として看護師は看護を行っているのかと問いたい。ここ数年の経験から,看護本来の姿とは何かについて考えさせられることが多い。そのきっかけになった体験を数例紹介し,私見を述べたい。
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