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見果てぬ夢か─医師として基礎看護教育を考える
早田 宏
1,2
1佐世保市立看護専門学校
2佐世保市立総合病院
pp.52-53
発行日 2011年1月25日
Published Date 2011/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663101656
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学生の立場が処遇の差になってはならない
看護専門学校の校長を兼務して3年余を経たが,いつも新鮮に感じるのは医学教育にはない“戴帽式”である。看護学生が手向ける蝋燭の光は,病という暗闇をさまよう患者にとっても,また看護教育に携わる私たちにとっても,希望の光であり,不安な将来を照らす道しるべである。この灯火を手にする全国看護学生の志は同じであり,学生の置かれているさまざまな立場で処遇に差があってはならないと信じている。
医師の立場から看護教育に関わることとなり,まず看護学と医学の視点の違いを感じたが,卒前看護教育制度の複雑さ─看護大学・3年課程専門学校・5年一貫教育校・准看護師養成学校など─は不可解なままである1)。各々の教育制度が歴史的背景から複雑な学制となったのはやむを得ないのかもしれないが,「医療の高度化」「地域医療の崩壊」「経済の低成長」という3つの要因がさらにそのひずみを大きくしている。このような混沌とした状況で看護教育に携わる私たちも進むべき道を探しあぐねている。しかし,忘れてならないのは,教育制度は手段であり,本来の目的は優秀な医療人の育成である。かつて,日本が江戸から明治へという大きな時代の節目を超えられたのは,特別な教育制度があったからではなく,自然発生的な私塾で市井の人々にも「学ぶことの心」が伝わっていったからではないだろうか。看護師を志す若い世代のためにも,手段を目的化して本来の目的を見失ってはいけない。
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