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はじめに
先日,姉が20日間の闘病の末,46歳という若さで亡くなりました。先天性心疾患の術後でフォローは受けていたのですが,急性心不全から重篤な肺水腫を起こしたということでした。救急車で病院到着後に心停止をきたし,心臓マッサージと除細動で心拍は再開したものの,その後も意識の回復はなく,最後まで呼吸器を装着したままでした。病気を抱えつつも在宅ケアマネジャーの仕事をこなし,夫と息子と三人家族で平凡に過ごしていた姉が,このような死を迎えるとは想像もしていませんでした。
ただ,姉の死,否,姉のこの生の闘いを改めてふり返ると,胸いっぱいの悲しみだけではなく,大事なことを残してくれたことに気づかされます。その1つ目に挙げられるのは,“生きる”という意味です。私は最後まで死というものを潜在意識の底のほうに押しやって姉を看てきました。しかし,死に怯え,遠ざけようと必死にもがくことで,かえってその対照としての生きるという意味が,私の中で浮き彫りとなっていった気がします。
2つ目は,家族というつながりです。超急性期とターミナル期とが混在することになったこの状況では,希望と絶望,不安と安堵を家族で共有して支え,励まし合いました。また,仕事の調整といった実際的な段取りや,自分たちの食事や睡眠に互いが気を配り合うことも必要でした。人は一人で生きているのではないと,家族という小さな社会の単位で感じ,そして助けられました。
3つ目は,医療や看護についてです。姉は13歳で受けた心臓手術後に自らの意志で看護職をめざしましたが,そのことに衝撃というほどの大きな影響を受けて私も同じ看護職を選びました。10年前にも母を看取りましたが,今回は壮絶な患者家族の視点から医療を見ることで,改めて看護のあり方やその意味についても考えさせられたように思います。本稿ではこの生命・家族・医療と看護の3つの縦糸を軸に,時間という横糸を織り込んで,姉の看取りの中で私が感じた思いを述べていきたいと思います。
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