特集 看護学実習 教員・指導者・学生,三者の体験から
第1部 体験から学ぶ「看護学実習」をめざして
精神保健看護学実習の展開
自分の体験を語ること―デブリーフィング・グループとしてのカンファレンス
武井 麻子
1
1日本赤十字看護大学
pp.991-996
発行日 2005年11月1日
Published Date 2005/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663100167
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はじめに
精神科での実習の途中で出て来られなくなった学生がいた。受持ち患者の部屋で話をしていたときに,患者がブツブツと独語を始め,妄想の世界に入り込んでしまったことが,つまづきの理由だという。一人取り残されたように感じて,自分は患者にとって存在する意味のない人間のように思ってしまったというのだ。彼女は,無力感に打ちのめされていた。
ある学生は,引き取り手がなく,退院の望みもかなえられそうもない患者に「家に連れて帰って」とせがまれて,何もできない自分に申し訳なさと悲しさで胸がつぶれそうになった。そして,いつのまにか患者の視線を無意識のうちに避けている自分に気づいた。
看護師なら誰しも,程度の差こそあれ学生時代にこうした体験をしたことがあるのではないだろうか。ときには,最初の学生のように,実習を続けられなくなることさえある。実習では,さまざまな感情に揺さぶられる学生をいかに支えるかが,教員や実習指導者の重要な役割となる。しかし,実習に来られなくなるなどの目立った行為でサインを送ってくることのない‘ふつうの’学生の場合,どのような気持ちで実習しているか,何に困っているかを知ることはなかなかむずかしい。しかも,1人で何人もの学生を指導していると,学生1人ひとりに気を配るのは至難の業である。教員1人の能力ではどうしようもない。
ここでは,こうした問題にどのように対処すればよいか,その方法の1つとしてのカンファレンスについて論じてみたい。
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