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コミュニティ・モデルにむけて
コミュニティとは地域社会一般,居住空間一般を指す言葉として使われているが,筆者の専攻する都市社会学では地域社会をどのような解き口のモデルにおいてとらえるかの,コミュニティ・モデルを指して使用してきた。もちろんコミュニティ・モデルは,時代と社会の変容に応じて再定義,再々定義が促されるものであるが,コミュニティの争点としてはアーバニゼーション(都市化)とグローバリゼーション(国際化)との関連が大きく問われている。アーバニゼーションと地域社会のテーマでは,1950年代から60年代におけるいわば右肩上がりのアーバニゼーション過程にあって,地域社会の崩壊・解体化の進行,総じて“後退化”を免れ得なかった。ここでの地域社会とは,主として農村や伝統型地方都市,あるいは大都市の下町地域などを現場とする農村的地域社会(あるいはムラ的地域社会)を指していた。農村的,あるいは日本的地域社会の復権か,あるいは農村的と対極をなす都市的地域社会が,戦略的にも強調されるようになった。一例として農村的地域社会を基盤とした保健婦活動を,都市の機能的システムと結んだ保健婦活動へとスイッチすることが強調されたのも,このような時代背景があった。
筆者は農村的地域社会を地域共同体モデル(あるいはムラ・モデル)と名づけて,アーバニゼーション時代のコミュニティ・モデルとは区別した。1950・60年代当時は,マイホームを求めて大量の大都市ホワイトカラーが郊外移住する現象に着目,新居住空間に生活拠点を築くコミュニティ指向活動に調査研究を集中させた(その成果は,拙著『都市コミュニティの理論』東京大学出版会,1982年を参照)。ボランタリーな問題解決に向けてのコミュニティ指向活動は,コミュニティ・モデルの先駆事例をなした。一方,大都市新郊外地域のひろがりとは対極をなす大都市下町地域は,1960年代前・中期までは地方出身単身者を受け入れていたが,この離村向都の流れが次第に先細りとなり,大都市じたい新郊外地域を中心として「郊外生まれ,郊外育ち」の自然増人口の相対的比重が高まるなかで,大都市中心部,とくに下町地域は高齢化と若年居住者の減少という衰退・空洞化現象をむかえるようになる。この衰退・空洞化現象は,1970年代を境として1980年代に入っては,従来の伝統型下町地域にとどまらず,下町地域と隣接する既成郊外地域に波及・浸透し,1980・90年代には大都市全体が,右肩上がりの「都市成長・発展」期から,右肩下がりの「都市衰退・空洞」期をむかえるに至った。大都市の衰退と再生が,先行する欧米大都市に続いて,わが国の大都市現象の流れとなった。アーバニゼーションじたい,成長・発展から成熟・衰退の第2期をむかえるようになった。コミュニティとの関連では,大都市衰退地区の再生が,コミュニティ指向活動の大きなターゲットとなった。筆者じしん,1960・70年前期の郊外地域から,下町を含む中心地域にフィールドを移して,超高齢化・少子化対策,地域再活力化プログラムなどを,コミュニティ・モデルの戦略的テーマとした。都心居住(再居住)の可能性,既存公共施設の“定員割れ”に伴うスクラップ・アンド・ビルド策(例えば都心小中学校の統廃合,遊休施設の撤収化,その他)を,持続可能なコミュニティ指向とのつながりで再点検する作業に追われた。そして大都市衰退地区再生のテーマは,時間的ズレを伴いながらも,大都市郊外地域,地方都市の次なるテーマでもあった。
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