連載 病と看護の視座—リンダ・リチャーズの人と思想・10
京都看病婦学校(その1)
小野 尚香
1
1大阪大学医学部保健学科
pp.60-64
発行日 1998年1月10日
Published Date 1998/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662901719
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1885(明治18)年の暮れ,リチャーズLinda Richards〔「米国最初の有資格(訓練された)看護婦America's first trained nurse」〕は,ボストン市立病院の総婦長兼看護学校監督を辞して,日本に向かっていた。京都で看護学校を組織する仕事に就き,それと関連してキリスト教伝道を行うためであった。
リチャーズは,敬虔なクリスチャン・ホームに育った。幼い頃より宣教師たちの海外伝道報告を聞く機会があり,宣教師になりたいと思ったこともあったという。アメリカン・ボードAmerican Board of Commissioners for Foreign Missions(アメリカ海外伝道局,会衆派とも言う)が,京都で新設される看護学校の教育担当者を求めていることを聞いたとき,リチャーズの心には,子供の頃の記憶が呼び戻されたのであった1)。
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