連載 衛生制度の開拓者たち—明治はじめ京都における政策をめぐって・13
京都看病婦学校
小野 尚香
1
1大阪大学医学部公衆衛生学教室
pp.824-827
発行日 1994年10月10日
Published Date 1994/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662901013
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
現在では看護nursing,看護婦nurseということばが用いられていますが,明治時代には一部で看病学・看病婦ということばが使われました1)。
京都ではじめて開かれた看護婦養成学校は,京都看病婦学校と称されました。校長を務めた新島襄は,学校創立の目的を「此校ノ目的ハ第1ニハ病人ノ苦痛ヲ救フニアリマスル」2)と述べています。明治19(1886)年9月,京都看病婦学校は5名の生徒を迎えて授業を開始しました。この看護婦養成学校では,ナイチンゲール方式1,3)を基調として看護教育を行い,社会のなかに訓練された看護婦(trained nurse)を送りだしていきます。
Copyright © 1994, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.