日本看護婦物語・その4
日本の近代看護創生期の人びと・京都看病婦学校
高橋 政子
,
土曜会
,
歴史部会
pp.77-83
発行日 1968年8月1日
Published Date 1968/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661914093
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創設の由来
「京都看病婦学校」は,今でこそ,その名を知る人は少ないが,当時にあっては,おそらく最高の看護教育が実施されたのではないかと思われるものがあり,東京の慈恵とはまた異なって,「受くるよりも与うるは幸いなり」のキリスト教精神と,その近代的開明さをもった優秀な看護婦を世に送り出した点で,関西はもとより,広くその名を全国に知られた看護婦養成所であった。
創設者は,同志社社長新島裏と宣教医のジョン・シー・ベリー,これを助けたのが,事務長格の同志社社員中村栄助と,ベリーによってアメリカから招かれた看護婦の大先輩,リンダ・リチャーズであった。
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