連載 衛生制度の開拓者たち—明治はじめ京都における政策をめぐって・12
鉱泉の活用
小野 尚香
1
1大阪大学医学部公衆衛生学教室
pp.744-747
発行日 1994年9月10日
Published Date 1994/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662900998
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火山国であるわが国には温泉が多い。清少納言の『枕草子』の一つの異本には,「温泉は,ななくりの湯,有馬の湯,那須の湯,つかまの湯,ともの湯」2)と,そのころの名湯について書き記されています。
時が流れて,明治のはじめ,京都東山に療養を目的とした温泉施設が開かれました。京都と大阪のあいだに郵便馬車がはじめて走った明治6(1873)年のことです。当時さまざまな病の治療に効果があると考えられた兵庫の有馬の湯をまねて,成分を配合して作られた人工温泉でした。京都府では,府の主導と管理のもとに,鉱泉を衛生的な観点から活用していきます。
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