連載 衛生制度の開拓者たち—明治はじめ京都における政策をめぐって・9
京都府舎密局
小野 尚香
1
1大阪大学医学部公衆衛生学教室
pp.492-495
発行日 1994年6月10日
Published Date 1994/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662900947
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江戸の蘭学者で博物学者の宇田川榕庵は,オランダ語のChemieを音訳して,舎密という漢字をあてました。中国では,早くから化学と意訳されています1)。
明治3(1870)年閏10月,京都府官となった明石博高は,まず理化学の知識の普及と殖産を目的として,京都に舎密局を作ることを府に意見しました。その年の暮れ,河原町の元長州屋敷である勧業場の一角に,府の施設として舎密局が設置され,明石はその主任となっています。明治6(1873)年には,文明開化を象徴するようなコロニアル風の木造洋館が,その本局として建てられました。
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