連載 生活の場から看護を考える・41
看とられる—看とる(4)—作り変える「看とられる—看とる」
北川 公子
1
1生活の場から看護を考える会
pp.570-571
発行日 1990年7月10日
Published Date 1990/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662900089
- 有料閲覧
- 文献概要
リハビリテーション病棟に勤務して1年が過ぎ,この間に2名が亡くなった。2人の患者の死とともに私を考え込ませたことは,同僚の遺族に対する批評である。例えば,病院でお通夜をすませてから家に帰るように家族が決めれば,「すぐ帰れないなんてかわいそう」,お通夜の晩に霊安室の電気が消えてれば,「遺体だけ残して帰ったみたいよ。ひどいわね」など非難が絶えない。
「看護婦って優しくないな。家族それぞれのみおくり方があっていいのに」1年生の私はそう思った。しかし,こう看護婦に言わせる背景には,家族に捨てられ,家族に思いを残して心ならずも亡くなった人,患者の願いにもかかわらず1度も見舞に来ない家族,さまざまな人間模様に出会い,そのたびに患者の立場に我が身を置きかえて悔し涙を流しながらも患者を守ってきた,看護婦1人ひとりの経験の蓄積があることも事実に違いない。
Copyright © 1990, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.