特集 北海道開拓保健婦の足跡
住民と共に生き,共に働き……
座談会
有為転変の現代史を生きる—開戦・敗戦・引揚・復興の嵐の中で
加藤 正子
1
,
荒木 静枝
,
貞広 梅
2
,
本多 ちゑ
3
,
山上 キミ
1紋別保健所
2美唄保健所
3川上郡標茶町立病院
pp.58-75
発行日 1982年1月10日
Published Date 1982/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206472
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保健婦への旅立ち
加藤 昭和20年,国の施策によって食糧増産の使命を担って緊急開拓事業が開始され,それに伴い昭和23年,開拓農民の生活と健康管理という目的で北海道開拓保健婦・開拓助産婦設置規定が設置されたことは,皆さん御存知だと思います。開拓保健婦は本来業務はもとより,社会資源の乏しい僻地において急患の護送,生活困窮者の出産の準備,花嫁のお世話,家族計画又は家庭内の人間関係の調整,又市街地へ行く時にいろんな連絡事項を頼まれるとか,保健婦らしからぬとよく白眼視されながら,だれかがやらなければならないということを知りつつ八面六臂の活動を続けてまいりました。
一方,開拓行政は開拓地の立地条件を考慮して必要な施策が次々と講ぜられ,その結果,農業生産は年々着実な伸びを見せ,開拓農家の北海道寒地農業に尽す功績は多大であるということを理由に,昭和44年度をもって一般農政に移行されました。
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