連載 聖路加の公衆衛生看護部●訪問看護活動を中心とした歩み・4
終戦直後から旧館接収解除まで(昭和20〜28年)
松下 和子
1
1聖路加国際病院公衆衛生看護部
pp.310-314
発行日 1977年5月10日
Published Date 1977/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205855
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1.終戦,そして病院が進駐軍に接収される
昭和20年8月15日,悲惨な戦争は4年の歳月を経て終戦を迎えた。街は荒廃の極に達し,進駐軍のジープが走り,上空には連合軍の戦闘機がとび交う不安な日々がつづいた。9月18日,当院は連合軍最高司令部の命により,米軍第49陸軍病院として強制的に接収された。これは当院にとって致命的な打撃であり,50年近い歴史も,もはやこれまでかと思われたとき,橋本院長は「この尊い使命をもつ病院の仕事をつづけなくてはならない」と決意され,何とか病院の仕事ができるような建物をとさがし求めた。当時,医師の出征と職員の疎開のため空家同然となっていた木造建ての都立整形外科病院跡を当院の近くに見つけ,都庁に接衝して借用し,80名の職員と共に懸命の努力をつづけることによって,インフレーションによる経済危機,極度の物品不足,混乱した社会情勢の中に一致して苦境をのりこえ,尊い使命の灯を消すことなく,10月初旬,病床25床で診療を開始した。病院と同時に聖路加女子専門学校も接収され,院長宅や中央保健所の一室を借りて授業をつづけていたが,実習場がなく,橋本校長は連合軍最高司令部の協力を求め,日赤中央病院附属の看護養成施設のすべてを利用する便が与えられ,本院旧館の接収解除までの8年間,現在の日赤短大と合同で,東京模範看護学院という名目で教育をつづけたのであった。
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