Medical Topics
日本精神神経学会の動き
野田 正彰
1
1長浜赤十字病院精神科
pp.534-536
発行日 1973年7月10日
Published Date 1973/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205328
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69年金沢学会から73年名古屋学会へ
日本精神神経学会は,内科や外科の医師たちから"大変な学会","困った学会"と苦笑のうちにうわさされながら,5年を経て,根本的な何かを提案し,着実に何かをなしつつあるようになった。その"何か"を,転換期にあった名古屋での学会から抜出してみよう。
69年の金沢で開かれた学会は,台理事長ら大学教授でのみ構成されていた理事会を否認した。それは"学問"という幻想のもとに若手医師を身動きできないようにし,劣悪な精神病院に送り込み,そこでの医療の矛盾を少しでも改善しようとさせるのではなく,逆に"やはり大学はいいナ"と再び"学問"へ彼らを吸収していく"医局講座制",とりわけその全国的な支配機構としての学会理事会への不満としてあった。私たちが病院で患者の生活史を聴き,いまの社会で彼のおかれている苛酷な状態について,ともになんとかならないだろうかと悩めば悩むほど,その道は遠くなり,壁は厚くなった。反対に医師の役割は,向精神薬を投与し,脳波を読み,"将来,脳の病いである精神病の原因もわかり,薬物もできるはずだ"と思い込めば,思い込むだけ気は楽になった。つまり,医者としての枠組みをはずして精神病者のおかれている状況をみようとすれば,医者として安定していたはずの位置は消え,奪いとられた患者の人権の延長に,"鍵つきの白衣"としての姿しか自分たちには残されていない。
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