回顧と経験 わが歩みし精神医学の道・19
日本精神神経学会の盛衰を中心として
内村 祐之
1,2
1東京大学
2日本学士院
pp.71-78
発行日 1968年1月15日
Published Date 1968/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405201287
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終戦後の混乱と貧困とは,昭和26,7年ごろを境として,比較的急速に改善されてゆき,それに相応して,各大学の研究活動も再び活溌となつた。そこで,ここに,当時の東大精神科教室員の仕事の内,国際的にも重要と思われるものを,戦前と戦後とに分けて,おのおの1つずつ,取り上げてみよう。
まず戦前のものでは,高橋角次郎君が偶然のことから成功した,椎骨動脈の経皮性脳動脈写の仕事がある(Arch. f. Psychiatr. 111,1940)。これは,高橋君があるとき,清水健太郎君創案の直接経皮性の頸動脈撮影の手技を実施中,手先の非常に器用な人であるにもかかわらず,誤つて針を深く刺し過ぎて,椎骨動脈を穿刺してしまったことから発展したものである。これにより,後脳動脈や小脳動脈の灌漑領域の脳動脈写の困難さが一挙に解決されたという意味で,神経学的診断にとつても,脳外科学の進展にとつても,非常に重要な手技であつた。高橋君の名前と,この業績とは,折りから勃発した第二次世界大戦のかげに隠れて,忘れられがちであるが,それはまさしく世界最初の成功であつたのである。
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