苦言辛言
ほしい専門職としての独立した姿勢
寒川 利朗
1
1森永ミルク中毒のこどもを守る会和歌山県本部
pp.234-235
発行日 1973年4月10日
Published Date 1973/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205254
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保健婦さんとともに歩んで
私は,昭和44年以降障害児(者)を守る運動を多くの人と進めるなかで発展していった森永ミルク中毒の被害者を守る運動を,和歌山県下の保健婦さんとともに進めてきました。そのなかで現在の保健婦さんのかかえている多くの問題点を学びました。保健行政の問題,福祉にかかわる社会機構の問題,そのうえに立った一般の人々の考えかたの問題など,またそれらの背景から出てくる保健婦活動の本質と矛盾点,保健婦さんの姿勢などに大別できると思いますが,今回は一住民として,保健婦さんへの期待をこめて要望を述べてみたいと思います。
私が保健婦さんといっしょに仕事を始めたのは,一教師として現場のなかで障害児(者)の教育権,生活権を保障する運動を,多くの仲間と進めるときでした。それまでは,年に何回か行なわれる予防注射のときに出会うくらいでしたから,恥ずかしいことですが正直にいって,保健婦さんとは予防注射をしたり,乳幼児の相談をするほかは,何か知らないけれども机にすわって事務をとっている人くらいに思っていました。その後障害児(者)を守る運動を通じ,多くの被害児の親たちとともに"森永ミルク中毒のこどもを守る会"県本部を結成し,被害児を守る運動が全県下に発展するなかで,多くの保健婦さんと接触する機会に恵まれました。
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